上海発!オンラインカジノの歴史を知ろう

日本では今、幅広い世代の間であるエンターテインメントサービスが高い注目を集めています。
それはオンラインで遊べるゲームです。
ゲームは日本のお家芸といえるものですが、このサービスに関しては日本は諸外国から非常におくれていました。
オンライン版カジノというのがそれで、1998年に中国の上海ではじめて誕生をしました。
カジノというと、国内では2025年から全国の至る箇所でIRリゾートというスタイルで相次いで開業をすることが正式に決まっています。
2009年のIR法案が可決をされ、すでにラスベガスやシンガポールに本社を構える企業が土地を確保して建設を開始されているほどです。
2010年には政府が全面的にオンラインカジノの利用を解禁され、ようやくわれわれも利用ができるようになりました。
そこでここでは、オンラインカジノの歴史について簡単に解説をしていきましょう。

世界ではじめてサービスを開始したベラジョン

世界ではじめてサービスを開始したのは、上海でカジノサービスを展開していた大手リゾート会社のベラジョンです。
1945年にイギリスが全面的に支援をするスタイルで店舗を建設されたところで、上海を代表する店舗となっていたところです。
長らく実店舗のみで営業をされてきましたが、1998年にパソコン通信を利用したオンライン式ゲームの提供もスタートさせました。
中国はパソコン技術の開発が非常に早く、諸外国ではまだ整備をされていなかったISDL回線の設置も早かったものです。
この当時はまだ高速通信ではなかったので、ソフトを各端末にダウンロードして遊ぶスタイルでした。
いわばビデオゲームと同じであり、プレイヤーひとりでAIを相手にして勝敗を決するスタイルです。
ポーカーとブラックジャックというカードゲームしかありませんでしたが、2000年になると一気に装いを一新して双方向マルチサービスをなります。
ブローバンド網の普及が起因となり、実際にベラジョンでは店舗からディーラーが通信をして限りなくリアルな遊び方ができるようになりました。
一気に世界各地のカジノ愛好家のハートをつかみ、世界共通のエンターテインメントとなったわけです。

2021年の現在オンラインカジノのプレイヤー人口は約400万人

日本では2010年から利用ができるようになりましたが、その時点ではプレイヤー数は10万人以下しかいませんでした。
国内ではパチンコ・スロットの方が人気があり、実際に店舗で遊べるという魅力の方が勝っていたわけです。
ところが2021年の現在ではオンラインカジノのプレイヤー人口は約400万人に対して、パチンコは10万人以下と形勢は逆転をしました。

パチンコ愛好家が減った理由

なぜ愛好家の人口が大幅に減ったのか、2つの原因があります。

新型ウイルスの蔓延

まず1つ目は新型ウイルスの蔓延で長らく営業が出来なかったからです。
密室空間で不特定多数が遊ぶ場所は全面的に営業停止となり、パチンコ店も例外ではありませんでした。

総量規制の導入

そして2つ目は総量規制というものが導入をされたからです。
以前は出玉数に関しては一切の規制がなく、ハイリスク・ハイリターンの環境が用意をされていました。
しかし2014年以降はこのスタイルに規制を少しずつ加えていて、いまでは1時間で最大4000玉しか獲得ができません。
一気に魅力がなくなってしまった娯楽となって、長年のファンも離れたわけです。

オンラインカジノの魅力

そこで代わりに頭角をあらわしたのがオンラインカジノで、多くのパチンコユーザーが流れる結果となりました。
オンラインカジノの良さは自宅に居ながら、本格的なプレイが可能という点です。
おうち時間の休息の合間に実際にチップを手に入れ、それを使ってスロットからポーカーやルーレットに興じることが可能です。
ソーシャルディスタンスを保ちつつ、一攫千金も目指せる遊びです。